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2006-12-14 13:41にて「ゲスト」で投稿した者です。遅くなりましてすみません。
まず、「ゲスト」になってしまったことをお詫び申し上げます。登録情報を削除すると、履歴情報も削除されてしまうようですね。ただ、登録情報を残すのに抵抗を感じるので、今回も「ゲスト」となることをお許しください。
また、前回はポイントを外していたようであり、この点についてもお詫び申し上げます。その後の投稿を読んで、ポイントが見えて参りました。
open_carさんが問題としているのは、おおむね次の4点になりましょうか。
1 従業員にメリットが無い
2 福利厚生目的に適っていない
3 会社の説明が十分でない
4 税務上の取扱いの根拠が不明確である
そこで、満期保険金受取人が会社、死亡保険金受取人が従業員遺族の養老保険について、これらの問題を順に取り上げ、最後に「情緒的発想」について私見を述べてみます。なお、死亡保険金受取人は保険契約上あくまでも従業員遺族であって、退職金充当をして会社が保険金から得るのは法的権利ではなく経済的利益である点に、ご注意いただければと思います。
1 従業員にメリットが無い
この点については、退職金充当がある場合に、充当される退職金を超えて遺族が死亡保険金を受け取るケースを除いて従業員にはメリットが無い、ということで結論が一致しているようですね。以下、それが正しいかどうか、検証してみます。
この保険では、会社に経済的メリットが現れます。つまり、1/2損金算入によって節税メリットが生じますし、退職金充当をすれば社会保険料負担回避のメリットも生じます。
ところで、従業員は会社に帰属しています。他方、帰属主体の利益は、その構成員の利益でもあります。したがって、会社が利益を得ている場合には、従業員も利益を得ていることが予想されます。
ここで、現実に目を向けてみると、会社が得た利益ないし現金流出を減らした効果は、会社に帰属する従業員に対して、給与や賞与、福利厚生施設や交際費という名の飲み代など、何らかの形で還元されています。また、会社が利益を挙げ支出を抑えて企業倒産せず存続し続けることで、従業員も来月の給与を心配することなく安心して暮らすことが出来ています。つまり、会社が経済的メリットを受けることによって、従業員もメリットを得ているといえます。会社と従業員とは、利害の対立する場面も多々ありますが、利害が一致する存在でもあるのです。
であれば、今回問題となっている保険でも、会社が経済的メリットを受けているのですから、従業員もメリットを得ているといえます。
もっとも、退職金充当もなく保険金が遺族へ直接に渡される場合のメリットと比べて、退職金充当により会社を通じて従業員へ還元されるメリットは、会社という組織をいったん通るために間接的なものになり、つまりは薄く広く、はっきりとメリットを感じられるものではありません。その一方で、保険料は、給与にもなったはずの資金源から支払われます。
この状況を従業員から見れば、会社は給与を増やさずに保険料へ回しておいて、いざ保険金が下りても、満期なら会社に入るし死亡でも退職金充当で会社がメリットを受けるばかりで自分ら従業員には特にメリットが無いのではないか、そう思ってしまうのも無理はないかと思います。
2 福利厚生目的に適っていない
すでに述べたとおり、退職金充当をしていても、従業員にも一定のメリットがあります。その限りにおいて、福利厚生に資するものといえます。しかし、この保険に関しては、もっと深い意味があります。
まず、保険商品の本質は、商品の性質に関わりなく、リスクの分散にあります。本スレッドで問題となっている養老保険でもそれは同じであり、福利厚生は二次的・副次的なものに過ぎません。この養老保険の最大の目的は従業員の退職金支払リスクを分散することであって、福利厚生的目的は派生的なものなのです。
ただし、保険会社はそのような説明をおこないません。なぜならば、そのように説明してしまうと、この養老保険が売れなくなるからです。また、退職金充当が出来ることをパンフレットに載せることもまずありません。なぜならば、退職金充当によって従業員の福利厚生が明らかに目減りするため、誇大広告等になる恐れがあるからです(もっとも、会社へ勧めるときのトークにはなるでしょう、これは許されます)。
そもそも、退職金充当をするかどうかは、保険契約を結んだ会社が従業員との間で決めることであり、保険契約には一切無関係です。であれば、これは保険会社がタッチすることではありません。保険会社としては、退職金充当が無いものとしてこの養老保険を販売しても、特に問題はありません。なぜならば、この保険商品の本質は退職金リスクの分散であって福利厚生でもなければ退職金充当でもなく、また、手厚い福利厚生を選ぶのか退職金充当を選ぶのかは保険契約を結ぶ会社自身の問題であり、従業員へいかに説明するのかもその会社自身の問題だからです。
この養老保険の本質が福利厚生ではない以上、福利厚生目的に適っていない状況が生じるのも仕方の無いことといえます。
3 会社の説明が十分でない
この保険の被保険者は、従業員個人となっています。であれば、被保険者に対する事前の説明は、必要です。この場合に、被保険者となることに反対する従業員がいれば、その者についての保険契約が出来ないことになります(すべての従業員についての保険契約が結べないわけではありません)。
さて、open_carさんの会社の説明を本スレッドで知る限りでは、説明がいかにも不十分であると言わざるを得ません。そういった場合には一応、錯誤無効などの道が用意されていますが、保険会社がその事情を知らなければ保険契約のほうは有効であり、退職金充当についても、そもそも会社に対してそのようなことを言うのが現実的ではありません(なお、遺族は死亡者の地位を受け継ぐので、従業員自身が保険契約や退職金充当の承諾を無効とすることが出来ないのであれば、遺族も無効とすることは出来ません)。従業員として出来ることとしては、皆で団結して説明が不十分だと声を挙げるのが、最も効果的なのかもしれません。
この点、会社はおそらく、人の死で会社がもうけるかのような後ろめたさがあって、説明を敢えて避けているのかもしれません。そこで会社のし得る説明を考えてみると、この保険と退職金充当とを組み合わせれば、すでに述べたとおり会社は大きな経済的メリットを受けることが出来ます。そのメリットは、1/2損金算入・退職金充当という、いずれも数値に換算できるものです。そこで、平均退職年数・死亡退職率・予想充当額・社会保険料率などのデータを組み合わせて、財政的メリットを数値化して従業員へ示すことで、会社の受けるメリットを従業員へ実感してもらうことが出来ます。さらに、その財政的メリットを何に使うのかまで示せば、説明として十分なものになるのではないでしょうか。
なお、open_carさんの目から見て会社がそのような説明を出来そうにないのであれば、残念ではありますが、今後も充分な説明は期待できないように思います。
4 税務上の取扱いの根拠が不明確である
この保険についての税法上の取り扱いは、政策的なものと考えられます。
この保険契約はすでに述べたとおり、そもそも退職金充当の有無を問題としていません。通常なら経済的実質を重視する税法も、この点に関しては同じ立場を堅持しており、退職金充当があっても無くても1/2損金計上を認めています。
また、1/2という数値にも、特別な根拠は見られません。満期会社・死亡遺族なので資産計上と損金計上との複合にしたのであれば、損金計上の割合を満期とならない確率(言い換えると死亡退職率)が、あるいはそれを基礎とした割合が、本来の係数となります。ところが、実際の係数は1/2です。これは、満期と死亡とを天秤の両側に置いて、真ん中でいいでしょう、という決め方をしたとしか考えられません(税法では、このような決め方をしたのであろう数値が、あちこちで見られます)。
この保険の特徴は1/2損金算入が出来る点であり、これだけで会社には保険契約を結ぶメリットがあります。さらに、退職金充当と組み合わせれば、そのメリットは増大します。
これによりこの保険商品の売上が伸び、契約を結んだ会社、保険会社ともに経済的に潤います。これだけでは「何だ、結局会社や保険会社が儲けるだけじゃないか」とも思えそうです。確かに、短期的にはそれらの会社だけが儲かることになります。しかしながら、これを辛抱強くおこなっていると、お金があふれ出すことでやがてお金が回りだし、私たちの手元にもお金が回ってくるようになり、経済が活性化して景気が本格的に上向きます。
1/2損金計上が政策的なものだというのはこのような意味であり、政策的税制はここまで考慮した上で制度設計されているのです。
もっとも、例えば法人税減税は経済学的分析をすれば景気回復には不向きであるなど、必ずしも政策的税制が経済を活性化する方向に働くとは限らない点が、困ったことではあります(というか、税調は経済学的分析には明るくないのかもしれません・・・)。
最後に、情緒的発想について私見を述べます。
情緒的発想をするのは、とても大切なことだと思います。なぜなら、情緒的発想がしばしば物事の本質を捉えているからです。しかしながら、情緒的発想は大きく空振りすることも少なくありません。
情緒的発想の最も怖いのは、思い立った本人が自分の発想にこだわってしまい、修正が効かなくなる場合がしばしば見られる点です。修正を出来なくなっているために、せっかく本質を捉えているのに発言のピントがずれていたり、空振りの場合には異なる意見を受け入れがたくなってしまい話が噛み合わなくなったりする欠点が生じます。
この欠点を克服するには、情緒的発想に対する検証を、常に、意識しておこなうことが大切だと思っております。見落としているものは無いか、別の視点からはどう見えるのか、自分の直感に誤りは無いのか。何かを思いつく度に、時間の許す限り常に自分でその思いつきを検証する癖をつけておくと、直感力=パッと思いつく力がやがて、直観力=本質を見抜く力へと育つようです。
私自身、情緒的発想をすることが少なくないので、自戒の念を込めて、最後にしたためてみました。
2006-12-14 13:41にて「ゲスト」で投稿した者です。遅くなりましてすみません。
まず、「ゲスト」になってしまったことをお詫び申し上げます。登録情報を削除すると、履歴情報も削除されてしまうようですね。ただ、登録情報を残すのに抵抗を感じるので、今回も「ゲスト」となることをお許しください。
また、前回はポイントを外していたようであり、この点についてもお詫び申し上げます。その後の投稿を読んで、ポイントが見えて参りました。
open_carさんが問題としているのは、おおむね次の4点になりましょうか。
1 従業員にメリットが無い
2 福利厚生目的に適っていない
3 会社の説明が十分でない
4 税務上の取扱いの根拠が不明確である
そこで、満期保険金受取人が会社、死亡保険金受取人が従業員遺族の養老保険について、これらの問題を順に取り上げ、最後に「情緒的発想」について私見を述べてみます。なお、死亡保険金受取人は保険契約上あくまでも従業員遺族であって、退職金充当をして会社が保険金から得るのは法的権利ではなく経済的利益である点に、ご注意いただければと思います。
1 従業員にメリットが無い
この点については、退職金充当がある場合に、充当される退職金を超えて遺族が死亡保険金を受け取るケースを除いて従業員にはメリットが無い、ということで結論が一致しているようですね。以下、それが正しいかどうか、検証してみます。
この保険では、会社に経済的メリットが現れます。つまり、1/2損金算入によって節税メリットが生じますし、退職金充当をすれば社会保険料負担回避のメリットも生じます。
ところで、従業員は会社に帰属しています。他方、帰属主体の利益は、その構成員の利益でもあります。したがって、会社が利益を得ている場合には、従業員も利益を得ていることが予想されます。
ここで、現実に目を向けてみると、会社が得た利益ないし現金流出を減らした効果は、会社に帰属する従業員に対して、給与や賞与、福利厚生施設や交際費という名の飲み代など、何らかの形で還元されています。また、会社が利益を挙げ支出を抑えて企業倒産せず存続し続けることで、従業員も来月の給与を心配することなく安心して暮らすことが出来ています。つまり、会社が経済的メリットを受けることによって、従業員もメリットを得ているといえます。会社と従業員とは、利害の対立する場面も多々ありますが、利害が一致する存在でもあるのです。
であれば、今回問題となっている保険でも、会社が経済的メリットを受けているのですから、従業員もメリットを得ているといえます。
もっとも、退職金充当もなく保険金が遺族へ直接に渡される場合のメリットと比べて、退職金充当により会社を通じて従業員へ還元されるメリットは、会社という組織をいったん通るために間接的なものになり、つまりは薄く広く、はっきりとメリットを感じられるものではありません。その一方で、保険料は、給与にもなったはずの資金源から支払われます。
この状況を従業員から見れば、会社は給与を増やさずに保険料へ回しておいて、いざ保険金が下りても、満期なら会社に入るし死亡でも退職金充当で会社がメリットを受けるばかりで自分ら従業員には特にメリットが無いのではないか、そう思ってしまうのも無理はないかと思います。
2 福利厚生目的に適っていない
すでに述べたとおり、退職金充当をしていても、従業員にも一定のメリットがあります。その限りにおいて、福利厚生に資するものといえます。しかし、この保険に関しては、もっと深い意味があります。
まず、保険商品の本質は、商品の性質に関わりなく、リスクの分散にあります。本スレッドで問題となっている養老保険でもそれは同じであり、福利厚生は二次的・副次的なものに過ぎません。この養老保険の最大の目的は従業員の退職金支払リスクを分散することであって、福利厚生的目的は派生的なものなのです。
ただし、保険会社はそのような説明をおこないません。なぜならば、そのように説明してしまうと、この養老保険が売れなくなるからです。また、退職金充当が出来ることをパンフレットに載せることもまずありません。なぜならば、退職金充当によって従業員の福利厚生が明らかに目減りするため、誇大広告等になる恐れがあるからです(もっとも、会社へ勧めるときのトークにはなるでしょう、これは許されます)。
そもそも、退職金充当をするかどうかは、保険契約を結んだ会社が従業員との間で決めることであり、保険契約には一切無関係です。であれば、これは保険会社がタッチすることではありません。保険会社としては、退職金充当が無いものとしてこの養老保険を販売しても、特に問題はありません。なぜならば、この保険商品の本質は退職金リスクの分散であって福利厚生でもなければ退職金充当でもなく、また、手厚い福利厚生を選ぶのか退職金充当を選ぶのかは保険契約を結ぶ会社自身の問題であり、従業員へいかに説明するのかもその会社自身の問題だからです。
この養老保険の本質が福利厚生ではない以上、福利厚生目的に適っていない状況が生じるのも仕方の無いことといえます。
3 会社の説明が十分でない
この保険の被保険者は、従業員個人となっています。であれば、被保険者に対する事前の説明は、必要です。この場合に、被保険者となることに反対する従業員がいれば、その者についての保険契約が出来ないことになります(すべての従業員についての保険契約が結べないわけではありません)。
さて、open_carさんの会社の説明を本スレッドで知る限りでは、説明がいかにも不十分であると言わざるを得ません。そういった場合には一応、錯誤無効などの道が用意されていますが、保険会社がその事情を知らなければ保険契約のほうは有効であり、退職金充当についても、そもそも会社に対してそのようなことを言うのが現実的ではありません(なお、遺族は死亡者の地位を受け継ぐので、従業員自身が保険契約や退職金充当の承諾を無効とすることが出来ないのであれば、遺族も無効とすることは出来ません)。従業員として出来ることとしては、皆で団結して説明が不十分だと声を挙げるのが、最も効果的なのかもしれません。
この点、会社はおそらく、人の死で会社がもうけるかのような後ろめたさがあって、説明を敢えて避けているのかもしれません。そこで会社のし得る説明を考えてみると、この保険と退職金充当とを組み合わせれば、すでに述べたとおり会社は大きな経済的メリットを受けることが出来ます。そのメリットは、1/2損金算入・退職金充当という、いずれも数値に換算できるものです。そこで、平均退職年数・死亡退職率・予想充当額・社会保険料率などのデータを組み合わせて、財政的メリットを数値化して従業員へ示すことで、会社の受けるメリットを従業員へ実感してもらうことが出来ます。さらに、その財政的メリットを何に使うのかまで示せば、説明として十分なものになるのではないでしょうか。
なお、open_carさんの目から見て会社がそのような説明を出来そうにないのであれば、残念ではありますが、今後も充分な説明は期待できないように思います。
4 税務上の取扱いの根拠が不明確である
この保険についての税法上の取り扱いは、政策的なものと考えられます。
この保険契約はすでに述べたとおり、そもそも退職金充当の有無を問題としていません。通常なら経済的実質を重視する税法も、この点に関しては同じ立場を堅持しており、退職金充当があっても無くても1/2損金計上を認めています。
また、1/2という数値にも、特別な根拠は見られません。満期会社・死亡遺族なので資産計上と損金計上との複合にしたのであれば、損金計上の割合を満期とならない確率(言い換えると死亡退職率)が、あるいはそれを基礎とした割合が、本来の係数となります。ところが、実際の係数は1/2です。これは、満期と死亡とを天秤の両側に置いて、真ん中でいいでしょう、という決め方をしたとしか考えられません(税法では、このような決め方をしたのであろう数値が、あちこちで見られます)。
この保険の特徴は1/2損金算入が出来る点であり、これだけで会社には保険契約を結ぶメリットがあります。さらに、退職金充当と組み合わせれば、そのメリットは増大します。
これによりこの保険商品の売上が伸び、契約を結んだ会社、保険会社ともに経済的に潤います。これだけでは「何だ、結局会社や保険会社が儲けるだけじゃないか」とも思えそうです。確かに、短期的にはそれらの会社だけが儲かることになります。しかしながら、これを辛抱強くおこなっていると、お金があふれ出すことでやがてお金が回りだし、私たちの手元にもお金が回ってくるようになり、経済が活性化して景気が本格的に上向きます。
1/2損金計上が政策的なものだというのはこのような意味であり、政策的税制はここまで考慮した上で制度設計されているのです。
もっとも、例えば法人税減税は経済学的分析をすれば景気回復には不向きであるなど、必ずしも政策的税制が経済を活性化する方向に働くとは限らない点が、困ったことではあります(というか、税調は経済学的分析には明るくないのかもしれません・・・)。
最後に、情緒的発想について私見を述べます。
情緒的発想をするのは、とても大切なことだと思います。なぜなら、情緒的発想がしばしば物事の本質を捉えているからです。しかしながら、情緒的発想は大きく空振りすることも少なくありません。
情緒的発想の最も怖いのは、思い立った本人が自分の発想にこだわってしまい、修正が効かなくなる場合がしばしば見られる点です。修正を出来なくなっているために、せっかく本質を捉えているのに発言のピントがずれていたり、空振りの場合には異なる意見を受け入れがたくなってしまい話が噛み合わなくなったりする欠点が生じます。
この欠点を克服するには、情緒的発想に対する検証を、常に、意識しておこなうことが大切だと思っております。見落としているものは無いか、別の視点からはどう見えるのか、自分の直感に誤りは無いのか。何かを思いつく度に、時間の許す限り常に自分でその思いつきを検証する癖をつけておくと、直感力=パッと思いつく力がやがて、直観力=本質を見抜く力へと育つようです。
私自身、情緒的発想をすることが少なくないので、自戒の念を込めて、最後にしたためてみました。
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