経理、労務、総務のことでわからないこと、利用者同士で助け合いを目的とした掲示板です。ルールを守ってご利用くださいませ。
領収証に印鑑は必要ですか?
2005/05/04 01:02
2. Re: 領収証に印鑑は必要ですか?
2005/05/06 23:10
お返事ありがとうございます。
今回の質問は、会社が支払う側で、相手からもらう領収証のケースでした。
相手が印鑑を忘れるということが考えられ、その際に印鑑なしでもいいのかという疑問にあたりました。
ありがとうございます。安心しました。
ただすいません、こういった印鑑の要不要についての法的根拠などはあるのでしょうか?
もしご存知でしたら、お教えお願いいたします。
お返事ありがとうございます。
今回の質問は、会社が支払う側で、相手からもらう領収証のケースでした。
相手が印鑑を忘れるということが考えられ、その際に印鑑なしでもいいのかという疑問にあたりました。
ありがとうございます。安心しました。
ただすいません、こういった印鑑の要不要についての法的根拠などはあるのでしょうか?
もしご存知でしたら、お教えお願いいたします。
0
3. Re: 領収証に印鑑は必要ですか?
2005/05/08 00:14
法的根拠、となると、直接の答えとしましては、
「法律に書かれていないから不要」、となってしまいます。
裁判所の判決などについて見聞きするぶんには、
印鑑の有無は、その領収証の確からしさを表す根拠のひとつ、
という位置づけのようです。
印鑑はあくまでも、要素のひとつに過ぎません。
ただ、例えばその領収証が会社独自のフォーマットだったりすると、
印鑑が無くても(裁判などでは)大丈夫と判断してもらいやすいでしょうし、
市販の領収証にゴム印の社名でおざなりに金額が書かれている、
なんて場合には、印鑑が押していないと「ひょっとしてアヤシイかも」
と思われてしまうかもしれません。
いちおう、トラブルとなってしまったときにどうなるのか、
という視点での話です・・・。
法的根拠、となると、直接の答えとしましては、
「法律に書かれていないから不要」、となってしまいます。
裁判所の判決などについて見聞きするぶんには、
印鑑の有無は、その領収証の確からしさを表す根拠のひとつ、
という位置づけのようです。
印鑑はあくまでも、要素のひとつに過ぎません。
ただ、例えばその領収証が会社独自のフォーマットだったりすると、
印鑑が無くても(裁判などでは)大丈夫と判断してもらいやすいでしょうし、
市販の領収証にゴム印の社名でおざなりに金額が書かれている、
なんて場合には、印鑑が押していないと「ひょっとしてアヤシイかも」
と思われてしまうかもしれません。
いちおう、トラブルとなってしまったときにどうなるのか、
という視点での話です・・・。
0
4. Re: 領収証に印鑑は必要ですか?
2005/05/11 22:58
5. Re: 領収証に印鑑は必要ですか?
2005/05/12 08:07
こんにちは。
>しかしそれならどうして、印鑑を押すことを絶対というように神経質になるんでしょうね?
>三文判なんて誰でも押せるのに。
これは日本の古くからの慣習からきていると思いますよ。印鑑主義・捺印主義とでも言うのでしょうか。古〜くは「血判」もその現れでしょうね。
場合によっては相手を厳密に確認する意味合いから取引印鑑を届け出てから取引を行う場合もありますね、公的機関の入札などの様に。
でもそうではない一般的な取引では、捺印されていてもその印鑑自体が正しいもの(本物)かどうかを確認することは極めて難しいことです、おっしゃる通りだと私も思います。
こんにちは。
>しかしそれならどうして、印鑑を押すことを絶対というように神経質になるんでしょうね?
>三文判なんて誰でも押せるのに。
これは日本の古くからの慣習からきていると思いますよ。印鑑主義・捺印主義とでも言うのでしょうか。古〜くは「血判」もその現れでしょうね。
場合によっては相手を厳密に確認する意味合いから取引印鑑を届け出てから取引を行う場合もありますね、公的機関の入札などの様に。
でもそうではない一般的な取引では、捺印されていてもその印鑑自体が正しいもの(本物)かどうかを確認することは極めて難しいことです、おっしゃる通りだと私も思います。
0
6. Re: 領収証に印鑑は必要ですか?
2005/05/14 01:19
ええと、前回投稿では、
法律で決めてあるのかどうか、という話に絞ったのですが、
一応も少しきっちり記します。
領収書に押される判子の力は、
法律として文字化されているわけではありません。
しかし、日本の場合には、
商慣習として広く認められています。
判子の力は、この商慣習を土台にしています。
領収書の偽造可能性を減らすため、
広く押印が習慣化している以上は、
これに逆らってみても、「ひょっとして偽造?」と疑われてしまう
悲しい結果になります。
(もちろん、機械で発行するなどであれば、判子を押さなくても
疑われる可能性は低くなります。)
「商慣習」を重視すると、
三文判なら誰でも押せるのに、という意見に対しては、
まずは領収書作成側に対しては、
ならば領収書の押印は特別な判子でやればいい、
判子の管理は厳重にすればいい、
両方やればなおいいけれど、どちらか片方だけでもやればいい、
何でそうやらないの?という反応が返ってきてしまうことになります。
また、領収書受取側にとっては、
三文判でも押してあれば相手は商慣習に乗っかったということだから、
それなりの強い力を領収書は持つことが出来る、
相手が我々のために「あなたは私にこれだけのお金を支払ってくれました」
と強く宣言してくれるのだから、判子を押してもらわないとソン、
何でそうやらないの?となって参ります。
判子社会である以上、押印の有無・押印の必要性との距離感を、
書類ごとに常に意識しておくほうが、
後々強いのです・・・。
ええと、前回投稿では、
法律で決めてあるのかどうか、という話に絞ったのですが、
一応も少しきっちり記します。
領収書に押される判子の力は、
法律として文字化されているわけではありません。
しかし、日本の場合には、
商慣習として広く認められています。
判子の力は、この商慣習を土台にしています。
領収書の偽造可能性を減らすため、
広く押印が習慣化している以上は、
これに逆らってみても、「ひょっとして偽造?」と疑われてしまう
悲しい結果になります。
(もちろん、機械で発行するなどであれば、判子を押さなくても
疑われる可能性は低くなります。)
「商慣習」を重視すると、
三文判なら誰でも押せるのに、という意見に対しては、
まずは領収書作成側に対しては、
ならば領収書の押印は特別な判子でやればいい、
判子の管理は厳重にすればいい、
両方やればなおいいけれど、どちらか片方だけでもやればいい、
何でそうやらないの?という反応が返ってきてしまうことになります。
また、領収書受取側にとっては、
三文判でも押してあれば相手は商慣習に乗っかったということだから、
それなりの強い力を領収書は持つことが出来る、
相手が我々のために「あなたは私にこれだけのお金を支払ってくれました」
と強く宣言してくれるのだから、判子を押してもらわないとソン、
何でそうやらないの?となって参ります。
判子社会である以上、押印の有無・押印の必要性との距離感を、
書類ごとに常に意識しておくほうが、
後々強いのです・・・。
0
Copyright© 2001-2018 Keiri.shoshinsha. otasuke-cho. All Rights Reserved.